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■ボートレーサー(競艇選手)の名言・迷言 8選
□はじめに

こんちは~。
ボートレース(競艇)楽しんでる~?俺は最近も優良競艇予想サイトを使って、勝つ、稼ぐ事に成功してるよ~。
いつもは勝つ、稼ぐ事のできる競艇予想サイトを紹介してるんだけど~、
今回はボートレーサー(競艇選手)の名言・迷言 8選だよ~。
ボートレーサー(競艇選手)は実に個性豊かで、新人からベテランまでいろんな選手がいる。そんなボートレーサー(競艇選手)が残した名言・迷言に注目したよ~!
個人的チョイスなので、ほかにもこんなのがあるよ~!って人は教えてね~!
□今村豊(いまむらゆたか)



ボートレース界(競艇界)のレジェンド。”ミスターボートレース“と呼ばれたベテランボートレーサー(競艇選手)。
1981年5月7日 徳山競艇場でボートレーサー(競艇選手)デビュー。
当時4つあったSGレース全てにデビュー『1年半』の間に出場!!!!
1982年に最優秀新人賞を受賞。(賞金ランキングは7位)
1990年・1992年 最優秀選手。その強さからファンが多く、バブル真っ只中のボートレース(競艇)業界をけん引し、20代後半から30歳代前半は全盛期だったんだ~!!!!
2020年5月 北原友次氏が残していた77期連続最上級(A級→A1級)という記録を更新!
SG優勝7回、通算優勝142、通算勝率7.76、通算2880勝。
今村豊氏のボートレース(競艇)の美学は、“他人にボートを当てないこと”。スマートに勝つ。誰からも認められる勝ち方をする。
そんな美学を持ちつつ39年間、ボートレーサー(競艇選手)としてトップを駆け抜けてきた今村豊氏。
59歳までの39年間活躍。2020年10月8日にボートレーサー(競艇選手)引退。
- 僕はファンの人に、1着を走ってるところを見てほしいとは思ってないんです。それよりも、6、5、4着を走っている時に、ひとつでも前の着順をとろうと諦めない姿。それを見てほしいんです。
- 何事も諦めなければこういう結果になるんだということ、それをヒシヒシと感じました。だから皆さんも絶対に物事は諦めないで、何事にも前進して前向きにがんばってもらいたいと思います。
- もう手入れが面倒だから、落ち葉も落ちないようにした。(これは、今村邸の庭についての一言。落ち葉が少しでも落ちてると気になるほどの綺麗好きの今村氏。庭には庭木などひとつもないんだ。)
ひたむきに努力し、取り組む姿勢、美学みたいなものが今村豊氏のコメントから読み取れるよね~!
□加藤峻二(かとうしゅんじ)



2015年5月7日の引退まで現役最年長ボートレーサー(競艇選手)だった。
1959/7/24 桐生競艇場で17歳でボートレーサー(競艇選手)デビュー。
愛称は「峻ちゃん」。若年層の競艇ファンからは、その功績を称えて「御大」とも称される。兄の義則は元オートレーサー。
ボートレース大村が2007年、G1名人戦開催を記念して、引退したボートレーサー(競艇選手)を対象に創設したのが「ボートレース殿堂」。この「ボートレース殿堂」に、加藤峻二氏は2010年に現役選手として唯一、選出されたんだ~。
2013年3月25日に戸田競艇場で行なわれたJCN埼玉杯優勝戦で1着となり、最年長優勝記録を71歳2ヵ月に更新。
加藤峻二氏の特徴のひとつが「フライングの少なさ」。表彰対象となる「2,000走連続スタート無事故」を2回達成しただけじゃなく、その上の「3,000走連続スタート無事故」も1回達成しているんだ~。
2015/5/7 73歳でボートレーサー(競艇選手)を引退。
- 老いは一度自分で認めたら、もう元には戻れないんですよ。
これは加藤峻二氏が現役時に語った言葉。前人未到の70歳代のボートレーサー(競艇選手)であった加藤峻二氏は、現役当時引退のことはまったく頭になかったという。「怖いのかもしれない。引退していきなり老いちゃうんじゃないかと」と、現役を続ける理由を語っていたんだ~。
□高塚清一(たかつかせいいち)



2015年に加藤峻二が引退した後は、現役最年長ボートレーサー(競艇選手)となっている。
1965年11月、浜名湖競艇場でボートレーサー(競艇選手)デビュー。またデビュー節で初勝利を上げる。
1967年11月、桐生競艇場で初優勝。
2013年1月に常滑競艇場で優勝。65歳10ヵ月での優勝は、当時最年長優勝記録だったんだ~。
73歳の現役最高齢ボートレーサー(競艇選手)として、2020/7/12に最年長勝利記録(73歳3カ月24日)を塗り替え、73歳4カ月5日での勝利をあげる。
- 1秒にも満たない差で争うんだから、水面を走って気持ちいいなんていう甘い競技じゃない。
- この世界でしか生きていけない。好きだから続けているだけ。
- もう目標なんてないけど、好きだからやる。まだやれる自信はある。
レジェンドボートレーサー(競艇選手)の衰えることのないあくなき挑戦心!見習いたいものだね~!
□野中和夫(のなかかずお)



野中和夫氏といえば、『モンスター』と呼ばれた元ボートレーサー(競艇選手)
1969/3/24 住之江競艇場でボートレーサー(競艇選手)デビュー。
生涯獲得賞金は18億5537万1637円。
40年のボートレーサー(競艇選手)選手生活の中で、SG優勝17回を含め通算132回の優勝、2574勝の輝かしい成績を残しているよ~。
2009/12/10 ボートレーサー(競艇選手)引退。
また、同級生に漫才師・横山やすし氏がいて、横山氏の誘いでボートレーサー(競艇選手)の道を歩む事になったんだ~。詳しくは下記記事で。
- 俺は勝負師やない、勝ち師や。勝負師とは勝ったり負けたりする人のことやから、俺は勝つことしか考えとらん。
- ギャンブルはどんどんやれ
野中「ギャンブルの経験がなかったら、こういう競技をやってくのは無理でしょ。競艇業界の人間でも、ギャンブル知らない人はやめてまえ、と思う。麻雀だろうが何だろうが、どんどんやれと。悔しさを知らなきゃね。負けた悔しさを知らなきゃあきませんわ」
□森高一真(もりたかかずま)



同期である85期の田村隆信、井口佳典、湯川浩司らとともに「銀河系軍団」とよばれ注目されたんだ~。
1999/11/11 鳴門競艇場でボートレーサー(競艇選手)デビュー。
2005年11月8日 宮島チャンピオンカップ (宮島競艇場)でGI初優勝。
2013年の11月24日に行われた津チャレンジカップにて悲願のSG初優勝を果たす(優勝戦は1号艇・決まり手は”逃げ”)
2014年2月26日、ボートレース下関のGI開設59周年記念競走第1Rにて通算1,000勝達成。
2017年には賞金ランキング上位18名に入り、初めてグランプリに出場しているんだ~。
- 自分は、お客さんの勝負の駒でいい。
- 展示の時にコースをとりにいったら、本番でもどんなに深くなってもコースをとりにいく。
- 俺らは所詮ギャンブルの駒。お前のおかげで儲かったって言われるのが嬉しい。
□松井繁(まついしげる)



『絶対王者』の異名をとるベテランボートレーサー(競艇選手)
SG優勝回数12回(2021年現在)生涯獲得賞金30億超え!!!!
1989年5月13日 住之江競艇場でボートレーサー(競艇選手)デビュー。
2008年9月12日 福岡チャンピオンカップ初日のドリームレースで1着! 公営競技史上初の生涯獲得賞金25億円を突破!!!!
2009年12月23日 賞金王決定戦競走V3を果たし、SG競走V10を達成!!!!
2011年9月8日 鳴門競艇場での「G1大渦大賞」にて優勝!!!! 『史上12人目』となる、通算100回目の優勝を果たすよ~!
2011年12月25日 住之江競艇場での「第26回賞金王決定戦」で2着。公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円突破!!!!
SG優勝回数12回!!!!
- 波も頑張っている。
2006年、江戸川モーターボート大賞で波やうねりに苦戦し、節間で1着を獲ることもできずに予選落ちした。最終日には「波も頑張っている」と弱気なコメントを吐いた。
- 優勝できるようなことがあれば、僕はヌード写真集を出します。
□鵜飼菜穂子(うかいなほこ)



女子ボートレーサー(競艇選手)の第一人者。インの鬼姫と呼ばれた。
1981年11月5日 蒲郡競艇場でデビュー。当時はまだ女子ボートレーサー(競艇選手)は少数だった。
1990年から92年にかけてレディースチャンピオン3連覇の偉業を成し遂げた。
2020年10月29日に引退。39年間のボートレーサー(競艇選手)人生に幕を下ろす。
父親の介護もあって3カ月に1節になってしまうこともあり、ボートレース(競艇)が二の次になった。4期連続で規定勝率に届かなかったことが引退の理由。
- ボートレース場で泣かなかった日は一日もなかった。
ボートレーサー(競艇選手)としてデビューした当時は「女のクセに」という言葉を何千回と聞いたという。そうした悔しさをバネに女子ボートレーサー(競艇選手)としてプライドを持ってずっとやってきたのかもしれないね~。
- 鵜飼菜穂子「もし今節優勝したら記念にヌード写真集出します!買ってねー!!」
松井繁「全国の皆さんのために鵜飼さんの優勝は僕が阻止します」(’99笹川賞)
□山室展弘(やまむろ のぶひろ)



モンキーターン (漫画)に登場するキャラクター蒲生秀隆のモデルとされてるよ~。
1982年11月13日 児島競艇場にてボートレーサー(競艇選手)デビュー。
高い能力を持っている選手だが、非常に気まぐれな性格であり、やる気があるときは鬼のように強いが、やる気が無いときは(実力的に)負ける事の無いようなメンバー相手でもあっさりと負けてしまうんだ~。
昔、新聞記者に言ってもいないことを書かれた事が原因で記者に対して愛想が悪く、取材やインタビューを嫌う。たまに答えるときも、記者やインタビュアーの揚げ足を取るようなコメントやふざけたコメントをする事が多いよ~。
でも、選手やファンに対してはごく普通に接してて、優しささえ感じさせるほどなんだ~。
1986年、新設された新鋭王座決定戦競走で優勝、その後もSG・G1戦線で活躍。
1999年全日本選手権競走でSG初優勝。2006年前期勝率1位。
- 舟券とセックスは下手でも楽しめる。
- 松井吉川かかってこい!
2009年尼崎全日本選手権2日目の勝利者インタビューで「松井、吉川かかって来い!」との挑発に、ファンから大喝采。 - 松井さんも『3』ぐらいじゃないですか。
2009年尼崎全日本選手権3日目には、10Rで松井選手との対戦が実現し、山室がイン逃げで制した。
その時のインタビューで山室選手が「松井さんが本当にかかってきた?でも僕は『3』ぐらいの力しか出してないですから。松井さんも『3』ぐらいじゃないですか。まっ、僕は『3』以上は出せませんけど…」とのコメントに場内は大爆笑。
□番外編・笹川良一


全国にボートレース(競艇)を普及させた、笹川会長こと笹川良一。最後に番外編として、この方の名言をぶっこんでみるよ~。
1899(明治32年)5月4日生まれ。大阪出身。
昭和時代の右翼運動家。昭和6年国粋大衆党を組織して総裁となり、17年翼賛選挙で衆議院議員に当選。
戦後、A級戦犯として収監されたが不起訴。
釈放後、全国にボートレース(競艇)を普及させ、全国モーターボート競走会連合会会長、日本船舶振興会会長として競艇収益の配分権をにぎり政界のフィクサーとなった。
57年国連平和賞。
1995年(平成7年)7月18日死去。96歳。
- 競艇はギャンブルではなくて慈善事業であり『救世主』であるとわたしは考えている。
□まとめ

…という事で今回はボートレーサー(競艇選手)の名言・迷言 8選だったけど、どうだった~?
ボートレーサー(競艇選手)それぞれが、自分が経験した事から発せられる名言だったり、それぞれの個性が生んだ迷言だったり、結構いろいろあるよね~。
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